「大正屋」
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INTERVIEW

おもてなしとは、親切心(目配り・気配り)のことをいう。

第十八回
株式会社 嬉野観光ホテル大正屋 専務取締役
山口雅子

2018.12.21

佐賀県の北部に、「日本三大美肌の湯」として知られる嬉野温泉がある(ちなみに残り2つは島根県の斐乃上温泉と栃木県の喜連川温泉)。古くから栄えた温泉宿場町であり、和風建築の旅館や洋風の建物が混在し、ある種独特の雰囲気と情緒のある温泉街になっている。

その中心地に、ひときわ落ち着いた佇まいの和風建築の旅館がある。それが、大正屋である。館内に立ち入ると、華美過ぎず、崩れ過ぎず、どことなくノスタルジックな空気が漂っている。

今回、スイッチブライトの取材班が訪問したのは、この創業大正14(1925)年の老舗旅館。社員を大切にし、和のおもてなしをしっかり身に着けてもらう教育に熱心な女将がいると聞き、取材依頼をさせていただいた。

「おしかり」とは、新しいことを教えていただく機会

「私が女将でございますというふうに前に出るのではなく、一歩後ろから従業員を見守っていたい」

つねに微笑みを絶やさないで話をされる山口雅子専務(以下、専務)に、「この方は、きっと人を上からしかりつけたりはしないのだろうな」と感じ、「スタッフの指導は、どのようなスタンスで行なっていますか」と聞いたあとの、専務の答えである。

「今年99歳になる社長は、現役でまだ現場に立つことも多く、昭和の厳しい時代を社員と共に歩んできたこともあり、自分にも社員にも凛とした姿勢を求めるタイプです。 私の立場は、まだ入社年次の浅い社員の目線からみた、様々な疑問や戸惑いなどに助言ができるよう、距離をとらず、自然体で接することを心がけ、やさしく話しかけるようにしています。なにより気持ちよく働いてもらいたいと思っています」

専務はこのようにおっしゃるが、日本の作法は厳しいルールがあるし、言葉遣いも難しい。華道や茶道も知る必要があるとすると、覚えることは無限にある。後ろから見守るだけで、一人前の仲居にさせることは可能なのだろうか。

「旅館では、お客さまのお迎えからお見送りまで、色んな事が起きます。そして、その時その時の対応は、都度変わります。正解のない世界です。正解はお客さまごと、シチュエーションごとに変わってきます。人の顔が違うように、人それぞれ生活習慣や考え方も違いますから、算数のように1+1=2というような考え方ではうまくいきません。ですので、自分なりに考えて、その時々で正しいであろう答えを探していく。我々のやり方通りに、というのができないので、臨機応変な対応が必要なのです」

つまり、接客の現場に出て、接客をしながら経験を積むことで判断力や接客技術を会得していくということだろうか。

「人と会うことで、そのたびに色々なことを教えてもらう。おしかりを受けることも当然ありますが、新しいことを教えていただいているというスタンスで受け止めるように、私どもではしています。知識も増えるし勉強にもなる、すごくありがたいことなんですと。お客さまに気持ちよくお過ごしいただき、気持ちよくお帰りいただく過程で自分たちも成長できる。接客業の魅力はそんなところにもあると思っています」

ベースに親切心があれば、知識や技術は後からついてくる

大切なのはルールを覚えることじゃない。臨機応変に対応する判断力なのだ。
専務自身も、これを痛感した経験を持つ。
銀行員として働き、サラリーマンの家に嫁いだつもりが、ある日突然旅館の女将になってすぐのころのエピソードである。銀行では窓口で接客もしていたし、本部の秘書課にいて役員の対応もしていたので言葉遣いや作法は身についていたが、臨機応変な対応というものが不得手だったという。

「あるとき、お酒を飲まれたお客さまから『適当にフルーツを持ってきて』と頼まれた際、『どのようなフルーツを、どれくらい、どのような器に入れてお持ちしたらよいでしょうか?」と、細かく質問してしまったんですね。すると、苛ついてしまったお客さまから、『なんでもいいんだから早く持ってこい!!』と怒鳴られてしまいました。きちんとしようと、自分の尺度で考えてしまったことがお客さまのご希望に沿わなかったんですね。臨機応変に対応できなかったという点で今でも記憶に残る経験です」

接客業に必要なのは、知識や技術の前に、その時々で、お客さまの気持ちに寄り添い、察することで、自分なりに判断できる力なのだろう。

「旅館で働きたいという学生さんから、よく『どういうスキルが必要ですか』と聞かれます。そうしたとき、『大正屋は、このようなことを大事にしています』と伝えています。それが、『親切心』です。例えば、スーパーでベビーカーを押すお母さんを見かけたときに、さっと駆け寄ってドアを開けてあげる。そんな気持ちと行動力です」

親切心がベースにあれば、知識や技術は後からついてくるのだろうか。

「親切心があれば、知識や技術を持とうという気持ちが自然と芽生えるのです。今日のお客さまには何もできなかったけど、明日違うお客さまがお見えになったときには、その経験を糧にきちんとしたおもてなしをしたいと考えられるのであれば、今日の失敗は自分にとって意味があるのです。そういう考えで勉強を重ね、精一杯努力する。学校で、友人から『数学の問題が分からない』と相談されたとします。でも、自分も分からない。そういったときに一緒に先生のところに行って一緒に聞いてあげたり、その晩に自分で勉強して分かるようになって翌朝友人に教えてあげる。そんな気持ちが、私たちが言う親切心です」

魔法の椅子

大正屋には、「魔法の椅子」と呼ばれ語り継がれている話がある。
大正屋が考える「親切心」を象徴するかのようなエピソードだ。

以前、ご年配のご夫婦と若いご夫婦の4人のお客さまが来館された。お父さまは、右足が少し悪いようで、右手にステッキを持っていた。お部屋までご案内するとき、入社二年目のフロント係の男子スタッフが気を遣って「車いすをご用意しましょうか」と申し出ると、車いすがお嫌いらしく、そのまま立ってエレベーターに乗られた。お父さまは、エレベーターが上階に上がる短い時間も、立っているのが辛そうだった。

フロント係は、案内から戻ると、あることをしたという。
その行動が、大きな感動を呼んだ。

数日後、そのご家族から手紙が届いた。そこには、次のようなことが綴られていた。

「フロント係の若い男性の心遣いのおかげで、心に残る家族旅行ができました。夕食前に皆で大浴場に行こうとエレベーターに乗ったところ、チェックインの際にはなかった椅子が置いてありました。すぐに父が気付き『おい、椅子がある。案内してくれた子が置いてくれたんだな』と言って、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、『いい宿を予約したな』と笑みを浮かべました。魔法のように現れた小さな椅子。これが『人をもてなす』ということなのだなと、感じ入りました』

今では、大正屋の館内すべてのエレベーターに、椅子が置かれている。大正屋の『親切心』を象徴するかのように…。

高級旅館で働くためには、いろんな知識やマナーを学ばなければならないと考える人も多いだろう。でも、このような、ちょっとした親切心さえあれば、知識やスキルは後からついてくる。

おもてなしとは、技術じゃない。
親切心そのものなのだ。

Information

株式会社 嬉野観光ホテル大正屋

  • 住所:〒843-0301 佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙2276番地1
  • 電話番号:0954-42-1170
  • FAX:0954-42-2346
  • ウェブサイト:http://www.taishoya.com/
  • 客室数:73室
  • 椎葉山荘
  • 住所:〒843-0304 佐賀県嬉野市嬉野町岩屋川内字椎葉乙1586
  • 電話番号:0954-42-3600
  • 客室数:20室
  • 湯宿清流
  • 住所:〒843-0301 佐賀県嬉野市嬉野町下宿2314番地
  • 電話番号:0954-42-0130
  • 客室数:25室

株式会社 嬉野観光ホテル大正屋 専務取締役
山口雅子氏 masako yamaguchi
1949年生まれ。佐賀市内にある佐賀東高等学校を卒業、68年4月株式会社佐賀銀行に入行。 71年大正屋に嫁ぐ。趣味は生け花。

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Staff Interview

世界観が広がっていく魅力

客室係 内山 よしみさん

高校生のころ、職場体験実習を通して接客の楽しさを知り、旅館業を意識するようになりました。企業パンフレットを眺め、実際に幾つかの旅館を見て回るなかで、「大正屋でならきっと頑張れる」と思い入社を決めました。離職率の低さ、働きやすそうな環境、何よりも「おもてなしの心」大切にしていることが決断の理由です。

入社して感じたのは、作法や細かな所作の難しさでした。何よりも自分自身の知識の無さを痛感しました。当初は、目の前のお客さまに対して、気の利いたお話もできず、笑って誤魔化していたように思います。しかし、専門の講師による研修や日々の業務を通じ、所作や知識が身についていくごとに、不安は少なくなっていきました。何よりも、「大切なお客さまに失礼のないようにしなければならない」という気持ちが私を成長させてくれたのだと思います。そして、お客さまから学ぶことも本当に多いです。旅館業の楽しさは、お客さまとの出会い。様々な方とお会いする機会がありますので、対話を通じて知らなかった世界に触れ、知識が深まり、私自身の世界観が広がっていくのを実感します。

大正屋の良いところは、相互にフォローし合える文化があること。業務の中でミスが起こることもありますが、「目の前のお客さまに全力を尽くす」というみんなが気持ちを共有しているため、必ずお互いに助け合います。

これから旅館業を目指す方、きっと不安はあると思いますが、仕事を通じて自分自身が成長できることは間違いありません。

Staff Interview

先輩に怒ってもらえることは、自分に可能性があるからだ

椎葉山荘 フロント 古賀 花純さん

接客業を目指したのは、学生時代から誰かと話をすることが好きだったからです。就職指導の先生からの勧めもあって椎葉山荘への入社を決めました。

入社当初は失敗も多く、怒られることもありました。その都度、同僚からの励ましの言葉にずいぶんと支えられました。一方で、先輩に怒ってもらえることは、自分に可能性があるからだと考えるようにもなりました。

この会社を選んで良かったと思うことは、若いスタッフの意見も積極的に聞き入れ、良いアイデアであれば即採用されるというところです。意見を出して却下されることはあまりありません。自分が会社やお客さまに役立てているという実感を得られることがとても多いですね。

椎葉山荘では常連のお客さまが多いことから、二度三度とお名前を尋ねることがないよう、来館履歴や顧客情報を確認し、少しでもお客さまとの距離を縮められるよう心がけています。何気ない仕事の日常ですが、お客さまに相手に笑顔になっていただき、そして、一緒に笑えることが実は、とても大きな喜びになります。接客技術や知識、情報をもっともっと持つことで、これからもお客さまのために尽くしていきたいですね。この仕事が好きだからこそ、いつも仕事のことを考えています。

日本旅館というフィールドで、日本人としてのアイデンティティを大切にしながら働きたい人、元気があって話し好きな方は、きっと旅館の仕事を楽しめると思います。

Message

人生の先輩から若者に向けて
「仕事や人生を楽しむコツ」とは?

適応力

株式会社 嬉野観光ホテル大正屋
専務取締役
山口雅子氏 masako yamaguchi

Editor's Note編集後記

この場所には優しい時間が流れている…  そんな印象を抱いた取材であった。 どこまでも相手を思い、心を尽くす。「おもてなしの心」を持ったスタッフがいる宿。 真摯に学ぶ気持ちが、優しさを生みだしているのではないだろうか。 「ヒト」は観光資源になり得る。そう感じさせてくれた時間でした。
平賀健司

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