「お父さん、私たち、いくつだと思っているの? 48だよ。どれだけ自分たちが新しい人生をつくっていこうと思ったとしても社会が受け入れてくれない年齢になったんだよ。お父さん、私たちは、ここで生きていくしかないんだよ」
「あなたはリタイアした身分なんだから、心配しないで悠々と見ていてくださいよ」
女将は、そんなことを先代であるお父様に伝えたかった。そんな自信もないし、たんなる空元気でしかないのだけれど、思いがけず出たセリフは、こんな軽口だったのだった。その後、お父様は、旅館に来ることはなかったし、事業に対して意見を言うこともなくなったという。
社員は家族。地域の人たちは親戚
久子女将はこの宿の八代目。四人姉妹の三女。次女の姉とは双子である。旅館経営は長女も携わっており、次女が常務、三女の久子さんが社長兼女将という役割である。実際には三姉妹全員で女将業を担っている。
和泉屋は創業明治2(1869)年、高龍神社の参拝客向けの7部屋ほどの湯治場として生まれた。久子女将の父は七代目、若いころは旅館業を継ぐつもりはなかったが、継ぐことが決まっていた弟が亡くなってしまったために、長男である自分が家業である旅館業を継承したのだった。
七代目のお父様は、ものすごく勉強家であった。繁盛旅館があると聞けば全国どこにでも足を運んで自分の目で見て自施設に使えるところがあればすぐに取り入れた。旅館経営の研修会にも頻繁に出かけた。露天風呂を増設したのも、地域で最も早かった。
「ヒトに教えを乞うことを恥じてはいけない。自然に教えてもらえるように、つねに頭を低くして素直であること、そして分からないことをそのままにするな」
こんな教えを日々聞きながら、幼少期の久子女将は、勉強熱心、ワーカホリックな父親の働く背中を見ながら育ち、人としての生き方や在り様を自然と学んだ。