Editor's Note編集後記
今回の取材を通して頭に過った言葉は「想い」だ。湯本社長の自宿のみならず、旅館業界への“想い”。スタッフ1人ひとりの仕事に対する情熱と言える“想い”。言い換えれば、お客様へ対する想いなのかもしれない。
彼らと言葉を交わしていると自然と笑顔になっている自分がいた。訪れる旅人に、また迎え入れるスタッフにも心地いい空気が流れる宿。
歩み入るものすべてに安らぎと幸せが溢れる「居場所」だと感じました…(平賀健司)
INTERVIEW
笑顔をわかちあう仕事
2017.05.10
長野県の北東エリア、千曲川に面した場所に「湯田中温泉」という古い温泉街がある。広大で良質な雪質で評価の高い志賀高原スキー場の玄関口に位置し、スノーモンキーで有名な地獄谷野猿公苑が至近にあるために、昨今、外国人が殺到している温泉地である。今回紹介する「あぶらや燈千」は、この湯田中温泉にある。ゴージャスな露天風呂付き客室や個室料亭、貸切風呂、岩盤浴、スパ、会員制ラウンジなどを備えた上質な日本旅館である。昨年は、旅館業界で初となるルーフTOPバーも新設した。ここも、笑顔がキラキラ輝くスタッフがお迎えする宿だった。
主人公はスタッフ
経営者に、リーダーシップというスキルが欠かせないことは言うまでもない。企業・組織が向かう方向性を示し、社員全体をけん引していく力は間違いなく必要である。一方、スタッフとお客さまのタッチポイントが最も重要なサービス業においては、スタッフの自発性がビジネスの価値を決定づけると言っても過言ではない。ところが、リーダーシップが行き過ぎると、スタッフは経営者の指示を待つようになり、自発性を発揮する隙間がなくなる。だから、サービス業においては、リーダーシップのさじ加減が非常に難しい。
今回取材した「あぶらや燈千」を率いる湯本孝之社長は、このへんのさじ加減やバランス感覚が実に巧みなリーダーだ。スタッフが自発性を発揮して自ら考えて行動できるように、企業理念や経営理念、行動指針を明確にしている。「あぶらや燈千」が大切にしていること、お客さまにご提供する価値とはなにかを明文化し、それを具現化する主人公は社員であると伝えている。
企業理念は、「笑顔をわかちあう」。だから「あぶらや燈千」は、経営者も社員も、お客さまもみんな笑顔、笑顔が連鎖している。
鎧を脱いだ鬼軍曹
館内に笑顔が充満し、かつ営業成績絶好調の「あぶらや燈千」だが、かつては違っていたという。
「私が28歳でこの旅館を継いだのは2002年ころ、建物を全面改装したばかりで、テレビで紹介されたりしたために、とても忙しかったときでした。そのため、私も一スタッフとしてフロントなどの仕事をしていました。忙しすぎて、社員が『人手が足りない、休みが取れない』という不満を持つようになりました。新入社員も頻繁に離職していきました。その理由のもっとも多かったのが、『A先輩とB先輩から仕事のやり方を教わったけれど、違うやり方で、どちらが正しいかが分からない』ということでした。また、理念がなかったために、『みんな一生懸命頑張って仕事をしているけれど、向いている方向はばらばら』という状態でした。そのとき、みなの意識と行動をひとつにするには理念が必要だと考えたのです。そして、企業理念、経営理念、行動指針を作り、社内を統一化させることから始めました」
湯本社長は、企業理念を「笑顔をわかちあう」として、社内に浸透させていった。すると、不思議なくらい急激に良い口コミが増えていった。それまでは、「料理が美味しかった」、「温泉が良かった」という口コミばかりだったが、『スタッフの笑顔に癒されました。皆さんの生き生きとした笑顔が素敵でした』など、“笑顔”というキーワードがたくさん書かれるようになっていった。
湯本社長が「笑顔をわかちあう」を企業理念にしたことには伏線があった。実は、以前の社長は鬼軍曹支配人だったのだ。毎日社員を怒ってばかりいた。「支配人は、弱みなど絶対に見せない強い人格でリーダーシップを発揮しなければいけない」という固定観念を持っていた。「俺一人でこの会社動かしているんだ!」というぐらいの思いで、一人でなんでも決めていた。その結果、社員はだれも近寄って来なくなった。社内にはいつも張りつめた緊張の空気が流れ、自然な笑顔なんて出す社員はいなかった。
「リーダーが眉間にしわを寄せて怖い顔をしていたら、スタッフが笑顔で楽しい気持ちになるわけがありません。そんなことすらわからなかったんですね」
悩んだ湯本社長は、いろいろな自己啓発セミナーに行った。そして、あることに気付いたという。
「私一人ではチェックインも料理も掃除もできるわけがない。自分一人では何もできない」
また、「支配人とはこうあるべきだ!」というのが、単なる自分の思い込みでしかないことにも。そうやって、無理して身に着けていた鎧を少しずつ脱いでいくうちに、もとの自分に少しずつ戻っていった。すると、不思議なことに社員も次第に変わっていき、少しずつゆるやかな関係に戻っていった。
益々重要になる高付加価値接客
湯本社長に、旅館で働く魅力を聞くと、意外な答えが返ってきた。
「経産省がちょっと前から発している『第四次産業革命』ということが叫ばれています。第1次産業革命は、いわゆる農業・手工業中心の時代から、18世紀後半の工業化の黎明期、第2次は19世紀後半の大量生産による庶民の文明化。そして、第3次は20世紀後半の電子化による製品、生産設備システムの進化、結果として1億総中流化へ進んだ時代です。そして、1990頃からパソコン、2000年頃からインターネット化を皮切りに、ICT技術が庶民のものとなり、草の根の市民活動が進化したソーシャルネットワーク化と変化し、スマホでFacebookやtwitterやLINEなどのSNSを使い分け、高速に映像を含めた情報のやり取りをするのが当たり前となりましたが、これらの大きな潮流を第4次産業革命と言っています。第4次産業革命では、我々サービス産業にも大きな影響を与えています。IOT、ロボット化、AIなどの進化です。その結果、列車の改札が人から機会に変わったように、単純接客業はロボット化、機械化されていきます。そして、単純作業に人は不要になっていきます。一方の高付加価値接客は、ロボットには当面不可能です。AIでは代替えできない仕事です。少なくとも一泊二日という時間を、お客さまと一緒に過ごし、その時間がお互い幸せであるという時間にしていく接客は、やはり、真心が込もった人間にしかできないものなのです」
つまり、誰でもできる仕事はロボットに奪われていくけれど、接客のプロフェッショナルの仕事は、熱い想いを持った人間にしかできず、益々求められていく時代になるということだ。また、これまで、旅館やリゾートホテルのビジネスというのは大きな繁閑の差に悩まされてきた。週末やゴールデンウイーク、夏休みや正月といった休みには、たくさんのお客さまが来てくれるが、平日は泊まりに来てくれないという悩みである。それが今や休みにそれほど左右されない訪日旅行者マーケットが増大し続けており、彼らが平日に宿泊してくれるために業務の平準化が可能になってきたのだ。そうなると、経営者はスタッフのシフト調整に苦慮しなくて済み、ひいては安定経営できるのだ。かつてのように労働生産性も給与も低く、休みも少ないという業界ではなくなりつつあるのだ。
気付くと大人になっている
インタビューの最後に、「若者が気付かない旅館で働く魅力とは」という質問を尋ねた。少し考えてから湯本社長はこのように語ってくれた。
「うちのスタッフは気付かないうちにどんどん成長していきます。いつの間にか使う言葉が違っているんです。立ち居振る舞いも大人になっていく。入社したてのころ学生言葉だったのが、気付くと丁寧な言葉遣いができるようになっている。きっと、お客さまや職場の先輩といった目上の方と接するうちに、どんどん引き上げられているのでしょうね。お客さまに育ててもらえる。そんな魅力が旅館にはあるのだと思います。さらには、旅館は、日本文化そのものです。料理も、畳も、温泉も、礼儀作法も、すべてが日本文化を表現したものになっています。日本文化を発信しつつ、お客様と深くかかわれる接客をしたいという人には、旅館業はピッタリだと思っています」
Information
湯田中温泉「あぶらや燈千」
(株)あぶらや燈千 代表取締役社長
湯本孝之氏 Takayuki Yumoto
〈プロフィール〉1974年長野県湯田中温泉生まれ。高校まで長野で過ごし、大学から東京で10年間過ごす。日本大学芸術学部に入学。この頃から芸術、映画、ファッション、インテリアなどに興味を持ち、いつかは自分の感性を表現できる仕事に就きたいと思い始める。大学卒業後、東京YMCAホテル専門学校に入学。専攻課の旅館経営者コースを受講する。これまで宿泊業にあまり興味がなかったが、ホテル実習の時に出会った先輩達に影響を受け、この仕事を好きになっていく。そして卒業後都内のホテルに修行として入社。その会社で様々なことを経験し、家業を継いでみたいという意識が芽生え始める。2年間の修行を終え、ワーキングホリデーでオーストラリアへ1年間滞在する。帰国後、あぶらや燈千に入社。2017年4月代表取締役に就任。理念である「笑顔をわかちあう」のもと、新たな経営を表現していく。
Staff Interview
お客さまの話を聞く「おもてなし」が
あることを知りました。
仲居・フロント(マルチスタッフ)
高地晶子さん
私は学生時代の4年間を東京で過ごしましたが、不思議と私の地元、長野県の会社に惹かれる自分がいました。また、人と接する仕事は、相手の心や、自分の気持ちにも強く残ると考えるようになりました。
そんななか、長野県のホテルで開催された、合同企業説明会で「あぶらや燈千」と出合いました。「笑顔をわかちあう」という企業理念、先輩方の笑顔が絶えない姿に触れ、ここで働きたいと思うようになりました。
旅館で働く魅力は、お客さまからの「ありがとう」という言葉と気持ちを、直接受け取ることができることです。お客さまと接するなかで、喜ばれている姿、楽しんでいる様子を感じられることは、働く上での魅力であり、やりがいです。一番楽しい仕事は、料理の配膳です。お客さまとたくさん話をすることができますし、提案もさせていただけるからです。一方で、ただお話をしたり、何かを提案するだけでなく、お客さまのお話を聞いて差し上げることも「おもてなし」だと知りました。お話を伺うことで、自分自身の知識となり、次にいらっしゃるお客さまとの会話の幅も増していきます。
旅館は、人と一番深く関われる仕事だと思うので、将来は、お客様の気持ちをいち早く察知して、苦手と感じる方に対しても、自信を持って接客をできるようになりたいです。
Staff Interview
おもてなしに限界はないと思います。
仲居・フロント(マルチスタッフ)
春日麻由さん
私は学生時代に、料亭でのアルバイトを通じて接客業の楽しさを知りました。就職先として、ホテルや旅館、レストランなどを考えていましたが、お客さまと触れる時間が一番長い仕事はどこかと考え、旅館に就職することを決めました。旅館で働く魅力は、やりがいを肌で感じやすいことです。お客さまから直接感謝の気持ちを受け取ることができて、リピーターとして戻ってきてくださること。自分が頑張った分だけ、報われる仕事だと思います。
業務の中で感じた難しさは、一つひとつの所作です。お料理を出す際も、指先の動きにまで神経を注ぐことです。嬉しかったことは、ハンディキャップをお持ちのお客さまの担当になった際、精一杯自分のできることをして差し上げました。お帰りになる際に、そのお客さまからお礼状をいただけたときは、嬉しくて涙を流してしまいました。おもてなしに限界はないって思った瞬間でもありました。
現在、接客以外の業務では、Webや採用の担当もさせていただいています。将来は、世界に自宿の魅力を発信していけるような人になりたいです。
Message
人生の先輩から若者に向けて
「仕事や人生を楽しむコツ」とは?
直面力
湯田中温泉「あぶらや燈千」
代表取締役社長
湯本孝之氏 Takayuki Yumoto
Editor's Note編集後記
今回の取材を通して頭に過った言葉は「想い」だ。湯本社長の自宿のみならず、旅館業界への“想い”。スタッフ1人ひとりの仕事に対する情熱と言える“想い”。言い換えれば、お客様へ対する想いなのかもしれない。
彼らと言葉を交わしていると自然と笑顔になっている自分がいた。訪れる旅人に、また迎え入れるスタッフにも心地いい空気が流れる宿。
歩み入るものすべてに安らぎと幸せが溢れる「居場所」だと感じました…(平賀健司)