「本陣平野屋」
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INTERVIEW

一度旅館で働けば、いいお嫁さんになれる。

第六回
「本陣平野屋」女将 有巣栄里子

2017.08.21

江戸時代以来の城下町・商家町の姿が残り、現在、年間50万人近くの訪日外国人観光客が訪れる岐阜県・飛騨高山。日本の原風景を残すこの街は、いつも欧米やアジアからの旅行者でにぎわっているが、そんな姿を見ると、この街が「日本が誇る国際的な観光地」であることを実感する。今回紹介するお宿、本陣平野屋は飛騨高山の中心に位置している。本陣平野屋別館と花兆庵という二つの宿からなる明治時代から続く古い旅館である。素敵な女将さんと、いつも生き生きと楽しそうに働くスタッフがいる旅館という噂を聞きつけて訪れた。Switch Brightの第6回は、この本陣平野屋をレポートする。

お客さまがリピートしてくれる日が、
サービスマンとしての最初の記念日

本陣平野屋のスタッフは、みないつもニコニコしている。筆者は長年ホテル・旅館を取材しているからか、働くスタッフの笑顔を見れば、それが心からの本当の笑顔なのか、仕事としての作り笑顔なのかがすぐに分かる。旅館によっては、仕事としての作り笑顔しか見えてこないところもあるが、本陣平野屋のスタッフの笑顔は、間違いなく心からの笑顔だった。この違いはなんなのだろうか。まずは、女将の有巣栄里子氏に、これについて聞いてみた。

「お客さまに対する成功体験の積み重ねの違いだと思うんです。最初は、接客の基本から教えていきます。もちろん失敗も経験するし、辛い思いもします。でも、続けていくとお客さまからお褒めいただくことや、喜んでいただくことも増えてきます。そして、ある日突然、自分のお客さまとしてリピート利用されるお客さまが現われるんです。これはもう嬉しくて嬉しくて・・・、ものすごくテンションが上がるようなのです。前回ご利用されたときの履歴を調べ、準備万端お迎えをするんですね。」

お客さまが自分に会いに来てくれる。この心躍る体験を一度味わってしまうと、旅館で働く面白さの中毒になってしまうのだという。心からの笑顔が出るかどうかは、その体験のあるなしの違いなのだろう。お客さまが回答してくださったアンケートに、スタッフの個人名があってお褒めのコメントがあれば、有巣氏は必ずスタッフにそれを見せるようにしているという。また、到着されたお客さまからは、よく「やっと、平野屋さんに戻って来れた」と言われ、お帰りになるお客さまからは、「これでまた明日から頑張れる」と言われるそうだが、そんなポジティブなフィードバックも必ずスタッフに伝えている。 スタッフは、どんなに疲れているときでも、この一言で頑張れるからだ。

接客をしたいスタッフと、
おもてなしを受けたいお客さまの接点を長くする

有巣氏は、スタッフがお客さまと接するタッチポイントを敢えて多くつくり、敢えてなるべく長い時間ご一緒できるようにサービス設計をしている。

私ども取材班も宿泊させていただき、接客を受けたが、正直、びっくりした。チェックインして客室に通されてから、担当の仲居さんは3往復くらいするのだ。最初におしぼりをお持ちくださり、次にお饅頭、そして、お菓子とお抹茶、最後に浴衣と帯と温泉セットを持ってきてくれる。すべての提供が済み滞在の説明が終わるまで、30分近くはかかっていた。
時代は、効率化一辺倒である。「旅館のビジネスが不振であり、給与水準が低いのは非効率な運営をしているから」という理屈で、「旅館やホテルの業務効率化を図り、労働生産性を向上しよう」である。それにもかかわらず、本陣平野屋では、その逆を敢えて行なっている。それはなぜだろうか。

「ロビーでお茶を出して、お部屋に何種類もの浴衣を揃えておいてお客さまに自由にお選びいただくというオペレーションの方が楽であることは分かっています。でも、うちは違います。仲居が8時間勤務するうち、お客さまと実際に接している時間は、ほんの2時間ちょっとなんですね。あとは準備であったり、片付けだったりです。接客がしたくて旅館で働いているスタッフばかりですから当然接客時間が長い方がスタッフも嬉しいし、お客さまも嬉しい。ですので、そこを敢えて厚くして、仲居とのコミュニケーションが好きなお客さまにこの旅館を選んでいただこうという意図があります」

本陣平野屋は、施設が大きいわけでもなく、見晴らしが良いわけでもない。自噴の温泉があるわけでもなく、客室に大きな特長があるわけでもない。そんななかで有巣氏が考えたのが、スタッフによるもてなしと料理だった。仲居さんとのコミュニケーションをお客さまが面白がるには、仲居さん自身も面白がらないといけない。仲居さんが接客を面白がる環境を整えるのが経営者の仕事。有巣氏はこう述べる。そして、仲居さんが接客を面白がるために、利き酒セットをスタッフに企画してもらったり、国際儀礼のレクチャーを受けさせて外国人のお客さまとのコミュニケーションのコツを伝えたりしている。海外からの団体客が来ればスタッフ総出で飛騨高山の民謡を踊る。スタッフがやりたいと言ってきたことに対しては、ほとんど「やってみたら」と背中を押しているという。さらには、スタッフから発案やアイデアが上がって来るような土壌をつくる努力をしているという。

一度旅館で働けば、いいお嫁さんになれる。

有巣氏は、「旅館の仕事は、とても大事な仕事だ」と語る。まず、旅館は、人が一泊を過ごして、元気になって帰っていくところであるということ。そして、いま国が振興している観光立国を支える仕事であるということだ。
「飛騨高山には、年間46万人の外国人が訪れています。旅館で働くということは、そういった海外から日本を楽しみに来たお客さまに日本文化を伝える仕事なんです。外国語を学んだ人や、日本文化や日本人のおもてなしの精神を海外に伝えたい人には最適な仕事なんですよ」

日本文化を伝える仕事。だから、本陣平野屋では、入社して3カ月は、所作、和服の着方、接客係としての立ち居振る舞い、挨拶、敬語、和室の中の立ち居振る舞い、お抹茶といった日本ならでは、旅館ならではの研修をみっちり受ける。だからだろうか、本陣平野屋で働いた仲居さんはみな結婚後も、いいお嫁さんになっている。

「やはり、旅館で働くと気配りができるようになるので、例えば親戚が集まるようなところでは、みな『気が利くお嫁さんだねえ』と褒められるようです」

お客さまに助けられるということ

最後に有巣氏が、忘れられないエピソードを語ってくれた。

あるとき、料理長が代わったことがあった。その直後にお越しになった常連のお客さまから、チェックアウトの前に有巣氏は新しい料理長とともに呼び出された。そしてこう怒鳴られた。
「俺は、●●さん(以前の料理長の名前)の料理が好きでこの旅館に来てるんだ! なんだ、昨日の料理は、まったくひどい! こんな料理を出すような旅館になっちゃって・・・、二度と来ないからな」
ロビーの真ん中で有巣氏と新料理長はしばらく立ちっぱなしでその叱責を受け続けた。頭を下げ続けるしかなかった。有巣氏は、心の中で歯を食いしばった。情けなくて涙も出なかった。これからはこの新しい料理長とやっていくと決めていた。後戻りなんてできなかった。

それ以降、有巣氏はリピーター恐怖症に陥った。「こんな料理を出すようになっちゃって」という一言が心に突き刺さったままだったからだった。また、同じことを言われたらどうしようという不安ばかりだった。そんなある日、別のリピーターのお客さまから呼び止められた。そして、こう言われた。

「女将さん、料理の味変わったね。料理長が変わったんだね。確かに前とは違うけど、今回の料理もすごくいいよ。心がこもってるよ」

その一言で女将さんは救われた。そのお客さまをお見送りしたあと、すぐに暖簾の裏に回って一人で泣いた。ハンカチで涙を拭いて、先ほどのお言葉を料理長に報告し、「これからも一生に頑張ろうね」と笑顔で伝えたのだった。

Information

飛騨高山の宿 本陣平野屋 花兆庵

  • 住所:〒506-0011 岐阜県高山市本町1-34
  • 電話番号:0577-34-1234
  • ウェブサイト:http://www.honjinhiranoya.com/
  • 客室数:花兆庵 24室、別館 26室

「本陣平野屋」女将
有巣栄里子氏 Eriko Arisu
〈プロフィール〉本陣平野屋 別館・本陣平野屋 花兆庵女将。岐阜県高山市生まれ。料理屋の長女として生まれる。東京YMCA国際ホテル学校卒業後、山の上ホテル(東京・御茶ノ水)勤務を経て本陣平野屋に入社。現在に至る。趣味は「旅館」。自分の旅館も大好きだが、あちこちの旅館に泊まることが自分の活力になっている。生まれ変わっても旅館の女将になりたいと思っている。

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Staff Interview

お客さまの「旅の思い出の一部」に
なれる仕事です。

お客様係 
板矢有希美さん

私は大学在学時に英語を専攻していたので、その英語力を活かして日本文化を発信できるような仕事、また、人と深く関われる仕事に就きたいと考えていました。「おもてなし」に興味を抱いていたこと、大好きな地元で着物を着て働きたいと強く思い、本陣平野屋で働くことを決めました。

旅館で働くにあたり、はじめは自分自身のコミュニケーション能力、女性社会への適応、私の接客でお客さまに満足いただけるのかどうかといった多くの不安を抱いていましたが、実際に働いてみると、すぐに不安はなくなりました。なぜなら、だれにでも相談がしやすい職場でしたし、なにより私の悩みや不安を察知してくれる先輩や同僚に恵まれていたからです。

現在、飛騨高山は、訪日外国人旅行者が予想以上に増えています。海外の方々と接する機会が非常に多いです。初めてお会いするお客さまが旅館に到着してから、お食事のご提供、お帰りになるまでの一泊二日という時間を共有できることに面白みを感じます。そして、お客さまが満足され、リピーターとして高山に、何よりも本陣平野屋に戻って来ていただけたときは本当に嬉しく思いますし、とてもやりがいを感じます。大げさな表現かもしれないのですが、私が「お客さまの思い出の一部になれた」と思えます。

毎日仕事に来ることが楽しいと感じますし、生まれ変わってもこの仕事を選ぶと思います。そのくらい、旅館の仕事は楽しいです。

Staff Interview

お客さま一人ひとりにとって
最良の提案を考える楽しさ

フロント 
中谷健さん

私はここに来る前は、東京で飲食業に長く従事していました。サービスだけではなく調理も経験しましたが、地元である高山に戻るタイミングで本陣平野屋に入社しました。

飲食業と旅館業の大きな違いは、お客さまと接する時間の長さです。飲食サービスの接客時間は、おおよそ2~3時間ですが、旅館ではお客さまが1泊、2泊と過ごされるなかで、お客さまと接する頻度、関わる密度が圧倒的に違います。お客さまと接するなかで、どのようなことをして差し上げることができるかを、日々の業務の中で考え続けています。例えば、お客さまとの対話のなかからニーズを読み取り、個々のお客さまに合った旅のプランを考えるなど、この仕事でしかできないことがあります。

一方、この仕事の難しさは、お客さまへの対応で、ミスが起こった時ですね。残念ながら、業務の中で失敗はあります。失敗そのものが許されないのではなく、その後の対応が重要となります。あくまでプロフェッショナルとして、お客さまへの対応が大切になってきます。 その対応いかんが、旅館の良し悪しを決める要因だと考えています。

旅館という仕事に飛び込むには不安を感じる方も多いと思います。どの業種でも、未知の世界に飛び込むのは不安なものですが、前向きに努力して頑張っていけば、必ず見ていてくれている人がいます。また、必ず助けてくれる人もいるものです。

与えられた環境で頑張ることを心掛け、そこで楽しさを見つけられたら素晴らしいですね。

Message

人生の先輩から若者に向けて
「仕事や人生を楽しむコツ」とは?

プラス思考力

「本陣平野屋」
女将
有巣栄里子氏 Eriko Arisu

Editor's Note編集後記

効率化ばかりを考えるのではなく、時間や手間がかかっても、スタッフのやりがいに繋がる業務は削らない…。 わかっていたかのような話だが、改めて聞くとなんとも痛快というか爽快だった。 手間暇をかけることに魅力を感じるスタッフが集う場所だろう。

さて、平野屋さんで夕食をいただいていると、ある接客係の女性が私たちのところにいらした。 『以前、御社で派遣スタッフとしてお世話になったんですよ。』と。 弊社の派遣スタッフとして、あぶらや燈千さん(偶然にも当サイトの第三回の取材先!)で働いたことがきっかけで、旅館で働く楽しみを知り現在は平野屋さんで働いていると話してくれた。 なんと嬉しいお話しでしょう!!いつにも増して取材に力が入る。 (山本拓嗣

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